福島へ・・・

神戸の古着屋haberdashery(ハバダッシェリー)のスタッフブログです!

こんばんは!ひっさしぶりの登場、杉野です!

最近はお店に出る事も少なくなり、もうご存知ない方も多数おられると思いますが…
「チーフバイヤー」、杉野です。



先日4月18日金曜日〜20日日曜日にかけて、東日本大震災…特に津波原発事故での被害の大きかった福島県へ、支援物資を届けに行ってまいりました。

オーナー山本さんの「師匠」であり、現在NPO法人フリーヘルプの代表の西本さんから声をかけて頂き、急遽決定しました。2011年5月にも西本さんに震災直後の宮城、岩手に支援物資を届けに行くのに同行させて頂きました。前回に引き続き今回も、貴重な体験をさせて頂き、ありがとうございました!

3日間の日程ではありますが、3トントラックでの移動で…片道800キロオーバー、13時間の行程になりますので、実際に福島での作業時間は半日程でした。


まだ雪の残る磐梯山(ばんだいさん)を後に、一路福島県南相馬市へ―。

仮設住宅に入り、荷物を降ろしました。

集会場に荷物を降ろし、すべて並べ終えたら、皆さんに声をかけて、必要な物を持って帰ってもらいます。
今回持って行った物は、衣料、食べ物、下着、大人用おむつ、布団、毛布、鍋、靴、暖房器具…などなど。
震災から3年が経過しているにもかかわらず、まだまだ足りない物はたくさんある様で…布団や下着などは、あっという間になくなっていました。

その後、仮設住宅を残り2か所回り、最後に現地で活動しておられる方に、原発事故の被害などのお話を聞かせて頂き、車で立ち入り禁止区域のギリギリ手前まで連れて行って頂き…津波被害の海岸線を見せて頂きました。


僕たちが回った場所では…持って行った「線量計放射線の量を測定する機械)」の数値が大きくふれる事はありませんでした。一応?除染活動は功を奏しているのでしょうか?何十年、何百年と消えないはずの放射能が…除染といっても、ホースで屋根に水を撒くだけだ、と現地の人は言っていました…。でも、他にどういうやり方があるのでしょうか???



今回は「津波」の被害もさることながら…やはり「原発」の被害の事を書かなければ…と思っていたのですが、
僕の付け焼刃の乏しい知識と、逆に、氾濫しまくってて何が正しいのか良く解らない情報と…そんな事を考えると、
何を書いて何を伝えればいいのか…正直分からなくなりました。

なので、「津波」でも、「原発」でもない…僕の視点の「フクシマ」いや、「ニッポン」を少しだけ。


仮設住宅を回り、支援物資を届け…自分の部屋に持って帰るのが大変そうだったので、オバアチャンの荷物を持って、お部屋まで歩きました。お部屋に着いて、2人で軒先に座って…その時オバアチャンはたくさんたくさん話をしてくれました。家族の事、病気の事、ごはんの事、洗濯の事、お散歩の事…。

家族みんなばらばらで(震災とは関係なく)…、3人息子の長男は同じ仮設に住んでいるが、部屋は3つ隣。次男夫婦は九州。3男夫婦は東京。孫もいるが放射能が怖いから遊びに来てくれないと。…オバアチャンは毎日「ここ」で暮らしているのに。


「震災は、終わっていない。」


よく使われる言葉です。当然だと思います。東日本大震災も、阪神淡路大震災も、ヒロシマも、ナガサキも、フクシマも…毎日おこる事件や事故、災害なども…当事者、家族、関係者にとって、「終わり」などないんだと思います。

でも、それでも日々、年月は流れて行き…

僕が行った「フクシマ」で思った事は、支援物資ももちろん必要だとは思いますが、それを渡す時の「つながり」や「心」など…コミュニケーションがもっともっと必要なんじゃないかな、と。

それは、「フクシマ」だけにあらず、今後の高齢化「ニッポン」に必要な事なのではないかな、と。

オバアチャンは、紐でくくっていた手押し車の紐をほどき…やめていたお散歩を明日からする、と約束してくれました。


ゆっくりでいいから…ゆっくり前に進んでください!!!