あの日から20年。。。

神戸の古着屋HABERDASHERY(ハバダッシェリー)のブログです!


あれから、20年経ったのですね。。。
そう、阪神淡路大震災

20年前の1月17日・・神戸の街が一度壊滅した日です。
20年経っても、まだあの「地震」が終わってない方も多いと思います。
一瞬で家族や大切な人を失ったり、自分自身が生きられなかったり・・と、
本当に本当に苦しく悲しい「地震」でした。
多分、一生忘れ得ぬ出来事だと思います。


ぼつぼつ、あの「地震」を知らない方も増えて来ています。
考えてみて下さい。
ある日、寝ていたら予想もしていない揺れ・・・。
いきなり、家が潰れて下敷きになるのです。
何千人もの方が家屋の下敷きになって亡くなりました。
一瞬で訳が分からないまま亡くなった方もいらっしゃいます。
また、家屋の下敷きになって痛くて痛くて・・・
助けて欲しいのに助けが間に合わずに亡くなった方も沢山いらっしゃいます。


真っ暗な闇の中で身動きとれずに亡くなってゆく・・・
そんな方が20年前の今日、沢山いらっしゃったのです。
このブログをアップする20年前の今は、まだ生きて苦しくて辛くて痛くて・・・
そうして、苦しみぬいて亡くなってゆく方もいらっしゃるのです。


20年前まで、神戸に地震なんて来ないーって思ってました。
数年に一度、震度1クラスの地震で、次の日に「昨日、地震あったよな!」
ーなんて、呑気な事を言っておりました。


僕は当時、仕入で前日からアメリカに出発して
ロサンゼルスの空港で「なんやろ?これ???」と、思いつつ
セントルイスに行きました。
アメリカで見る神戸の風景は、まさに「壊滅」でした。
セントルイスに着いた次の日の飛行機で帰国。
西宮から(借りた)原付で戦場のような(当時住んでいた)東灘区へ・・・。
家も無事でしたが家の付近でも多数の死者がでておりました。


1995年当時、神戸市の人口152万人。
兵庫県内の死者6434名。行方不明者3人。負傷者43792名
死者の80%相当、約5000人は木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになって即死した。
1995年10月時点での神戸市の人口は142万人。
震災によっての死者と神戸を離れた人数が10万人いたーという事でした。


地震によって亡くなった方・・・
痛かったでしょうね・・・
苦しかったでしょうね・・・
悲しかったでしょうね・・・
もう、訳が分からなかったでしょうね・・・
寒かったでしょうね・・・
辛かったでしょうね・・・


僕には、この「阪神淡路大震災」の日記をまとめる事は、出来ません。
多分、なぜなら僕自身もあの「地震」がまだ終わってないからだと思います。
生きていると、悲しい事や苦しい事バッカリが心に溜まります。
傷ついた心が癒える間もなく次の傷つく事が来るのだと思います。
ただ、僕は人より心にイッパイの荷物が持てるようです。
み〜〜んなの苦しみ、悲しみを少しでも沢山持ってあげられたらーと思います。


阪神淡路大震災の犠牲者皆様、また、2011年の東日本大震災の犠牲者の皆様の
死後、迷わず幸福になれますようにお祈り申し上げます。




過去の阪神大震災の日記

http://d.hatena.ne.jp/haberdashery/20130117

http://d.hatena.ne.jp/haberdashery/20120117

http://d.hatena.ne.jp/haberdashery/20110117