「当たり前」ではないありがたさ。

神戸の古着屋haberdashery(ハバダッシェリー)のスタッフブログです。



どうも〜、ハバダブログには久々登場のおとーさん植田です。


今日は山本さんと二人で、カラフルな春物に囲まれたハバダで楽しく営業していました。


お花が沢山ついた帽子や、パステルカラーのブラウス、色とりどりのワンピースに、派手なメンズの柄シャツ、ビビッドカラーのサイクリングシャツなど、華やかな洋服に囲まれて、お客さんと(お客さんが居ない時は二人で)賑やかにお喋り。


そう、イメージは、


「お花畑でキャッキャウフフと戯れるオジサン二人」


・・・。


絵面を想像して、「気色悪い」と思った人は、罰として今晩僕たちが夢に出てきますので、あしからず。


まぁ、そんなことはともかく。


今日、お客さんと喋っていて改めて感じたのですが。


比喩表現でいう「人生の(無駄な)回り道」って、「回り道」がそこにあるのではなくて、自分が歩いている道を「無駄」と感じた瞬間に、「回り道」になってしまうんだなと。


いつも通り、「なんのこっちゃ?」なお話ですが、しばしお付き合い下さい。



今日、あるお客さんに、カレッジリングの重さ(グラム数)を訊ねられたのです。


もちろんわかりませんし、お店には秤(ハカリ)もありません。


咄嗟に、同じ大きさのリングを2、3個手のひらで転がし、


「んーと、多分ですが、これが5グラムくらいだと思います」


とお答えしました。


当然、お客さんは「何でわかるん!?」とビックリなさってましたが、答えは簡単。


「手のひらでリングを転がす」という動作、これを僕は、お寿司のシャリを握る感覚で行っていたんです。


そう、昔働いていた職場で僕は、お寿司一貫をシャリ15gで握っていました。


つまり何千個と握ったお寿司(ちなみにお寿司屋さんではなく創作居酒屋でしたが)の感覚・経験を元に、お客さんの質問に漠然とではありますが、お答えすることができました。


もちろん、そのお客さんにはネタばらしして、「カレッジリングで寿司握ったん初めてですわ、いや、実際には寿司握ってないけども」と言って大爆笑していただけたので万々歳。


しばらくはいい話の「ネタ」になりそうです、寿司だけに・・・。


えーっと、つまり。


はたから見ると回り道だらけの人生(英国史研究者→図書館員→料理人→古着屋)を歩んでいるような僕ですが、自分の中ではそれらはしっかり結び付いていて、現在の立場もこれから歩んでいく将来のヴィジョンの中にしっかりと位置付けられています。


だから振り返ってみても、無駄な時間を過ごしたとは全く思っていませんし、「いま・ここ」がゴールだと思う気持ちもないので、今後の人生にもワクワクした期待が高まる次第。


強がりでもなんでもなく、僕にとって今までの人生は「回り道」でも「無駄」でもない訳です。


これは服装についてもそうで。


僕は小学生や中学生の頃には「モロ80's」な格好してましたし、古着を着るようになってからも、アウトドア系やモード系をつまみ食いして、「イキった」着こなしもしてました。


でもそんな、今の僕の格好からは想像できないような、個人的に恥ずかしい「黒歴史」があるからこそ、80'sがリバイバルしている昨今の着こなしにもアドバイスできるし、綺麗目なモード系にもコメントできる自分がいるのではないかと。


こんな、まぁ言ってみれば「当たり前」なことを考えるきっかけを与えてくれたのも、今日、質問してくれたお客さんが居てくれたからこそ。


「当たり前」のことを「当たり前」として処理しない、言い換えれば、「自明の前提や常識を疑う」ということは、大袈裟に言えば僕の人生のテーマなので、忙しい日常でついつい流してしまいがちな点を考えるきっかけを、今日はお客さんに頂きました。


「商売」なので、商品と金銭の授受があるのは「当たり前」。


それで僕たちの生活が成り立っているのだから、その点でお客さんに感謝するのも「当然」。


でも、それ以上に、お客さんと接することで与えたり与えられたりする、こうした「気付き」こそ、お互いの人生を濃厚で彩りのあるものにしていくのだと思います。


こうした意味で、お客さんは本当にありがたいということを、改めて実感した一日でした。


明日も楽しく頑張れそうです!



いつも通りハバダのブログは長文かつ主観的な内容になってしまいました、長々とすみません(泣)


別にミルのブログでは手を抜いてる訳ではないので、そのあたり誤解なさらないよう、伏してお願い申し上げます(笑)


さて、春物一杯でテンション高めのハバダ。


明日はマイちゃんとハラちゃんで、華やかにお待ちしております♪