古着を着る理由。

神戸の古着屋haberdashery(ハバダッシェリー)のスタッフブログです。




ハバダのブログを書くのは二回目、ご無沙汰してます、「おとーさん」植田です。

皆さんは、「古着を着る理由」ってありますか?


「理由なんかいらん」、「単に可愛いから」、そんな意見もあると思いますが、僕のように理屈好きで、20年近く古着を着ていて、しかも現在は古着業界に携わる人間になると、単に「カッチョイイから」では済まなくなります。


特に、自分を納得させるという意味で。


今日のブログはそんな、「僕が古着を着る理由」という、なんとも個人的で青臭い内容です。


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結論から先にいうと、僕にとって古着を着るというのは、「ノスタルジーを身にまとう」ということと同じです。


【ノスタルジー】とは、個人の記憶や思い入れによって構成された、とても都合のいい「過去」です。


それは「かつてどこにも存在しなかった」過去。


なぜなら、記憶にしろ思い入れにしろ、それらは随時更新され、脚色され、改竄され、忘却される、非常に柔軟で可変性の高いものだからです。


実際の過去(自分が未経験の、生まれる以前も含む)には当然、辛いことや悲しいことや苦しいことといった、歴史の深刻さが沢山あったでしょう。


そうした「負の」情動や事象をいったんカッコに入れて、いやむしろ、「リアルな生々しさ」を受け入れた上で。


「昔はよかった」などと過去を単純にに美化するのではなく、不便さやしんどさも理解しようとした上で。


かつての時代や地域に想いをはせること、それが僕なりの【ノスタルジー】であり、それが非常に楽しいのです。


例えば僕は、1930年代のアメリカを舞台にした映画に感銘を受けることが多いのですが。


ゴッドファーザー』とか『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』とか『オー・ブラザー』とかを観て。


ダイアン・キートンのワンピースの着こなしや、スコット・ティラーのCPOジャケットの合わせ方や、ジョージ・クルーニーのオーバーオールの着方に、その時代への憧れが強まる訳です。


普段着なのに、面倒臭くて、重たくて、小汚ない格好してるけど、これが当時の「リアルな生々しさ」だったんだろうな、と感じるのです。


そんな想像/創造された「過去」を楽しんで追体験するため、僕は古着を着ます。


だから、軽さがウリの現代の既製服では、レトロなコーディネートをしてもどこか「薄っぺらい」感じがして、非常に物足りない。


それなら、多少重たくてもウールがみっしり詰まったコートを着る方が、「過去」の人の気分を味わえて、愉快な気持ちになれちゃうのです。


(もちろん、新物の洋服の利便性や安さを否定するつもりはないですし、それを着ている人を批判する気なんて全く無いです。あくまで、僕個人が着る場合の感情に過ぎませんので、誤解なきよう)


ちなみにこれはコスプレのようでいて、実はコスプレとは根本的に違う、ライフスタイルに密着した遊びだと思います。


コスプレとは、衣装はもちろん、その言動や思考様式まで、ある特定のキャラになりきる遊び。


僕の「過去」の追体験とは、衣装は当時のもの(古着)だけど、その言動や思考様式は、現代に生きる僕自信のもの。


だからコスプレとはちょっと違うのではないかと。


まぁともかく、こうした【ノスタルジー】に浸る楽しさがあるからこそ、僕は古着を着続けているのです。


いわば、「そんな自分って、ちょっと面白いやん」という自己肯定、ナルシシズムの一種なんでしょうね。


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長々と書いちゃいましたが、ここまで個人的な意見を読んでくださった方、本当にありがとうございます。


そして、いつものような商品紹介を楽しみにしていらした方、大変申し訳ありませんでした。


ただ、たまにはこんなブログもいいかな・・・と。


さて明日のハバダは、オーナーの山本さんとマイちゃんです♪


ワイワイ遊びに来て下さいねー!